転職遍歴(前半)

こんにちは。わこうです。


今回は閑話休題。そして、すごく長いです。


事業計画を作成する中で職歴を記載する欄があります。転職回数が10回を超える自分には少なすぎる行数ではあります。やはり、こういうキャリア形成の仕方はまだまだ少数派というか傍流というか邪道なんでしょうかね。


それでも、良い機会だと思ったので振り返ってみることにしました。



ービルメンテナンス会社

新卒で入社した記念すべき1社目です。上場企業の子会社で、親会社のビル管理や施設警備、人材派遣その他の企業向けサービスを展開していました。


2年目から経理部で決算などの主計業務を担当していましたが、仕事をうまく回すために理不尽なローカルルールに縛られたりグループや社内政治の影響を受けたりと業務以外の事柄に腐心する日々でした。

このままではこの会社でしか通用しない人間になってしまうと思い退職しました。


ここでは経理の基礎から月次/中間/年次決算、商法計算書類、予実管理、、税務申告(消費税)、監査対応まで色々経験させてもらいました。あとは組織で物事が決まっていく仕組みや決裁のスピード感、子会社ならではの悩みとグループ企業ならではの充実した福利厚生、教育体制ですかね。


労務経験としては1年目に所属していた事業部の勤怠チェックと契約社員の採用面接を担当させてもらいました。労働組合が何をしてるかも少し垣間見えました。



ー税理士事務所

当時は経理関連の仕事を軸足にしていこうと考えていたので、ならば専門家の下で修行しようと思い税理士事務所へ。5年未満の実務経験と簿記2級だけで飛び込むのは結構無謀な決断だったと思いますが、若さゆえの暴走…いや挑戦だと思っていました。結果は暴走だったんですが。


当時の自分はスキル以上にまだプロ意識のようなものが不足していたのかなと思います。職責を全うする自信がどうしても持てずに短期間で退職することになりました。

そんな自分に先生は評価していた点やこれからのアドバイスまでして送り出してくれました。先生とは退職後も繋がりを持たせていただいています。


個人の確定申告や法人の記帳はたくさん経験させてもらいました。法人税申告書の作成補助や税務調査の立ち合いに同席もさせてもらいました。クライアントさんへの訪問の仕方も勉強になりました。あとは当然電子申告もない時代ですのであちこちの税務署に提出に行きました。提出は結構楽しかったですね。



ーITベンチャー企業

どうしてこの企業にたどり着いたのか記憶は定かではありませんが、心機一転で新しいことにチャレンジしようと意気込んでいたのは覚えています。出資していた会社のリソースを借りつつも、とにかく何もないところからのルール作りや営業活動の手伝いなどIPOを目指してなんでもやりました。


社長の帰社時間が午前1時過ぎで会議が午前2時、朝6時のバイク便でプレゼン資料を届けるために完徹で資料作りとか。今思えばだいぶヤバいですね。通常でも始業時間に出勤するのは自分だけで他のスタッフは好き勝手な感じでした。

ほぼ夜型のスタッフに引きずられた結果自分の勤務時間だけやたら長かったですし、もちろん残業手当なんてありませんでした。当時は労基法なんて気にしたこともなく、年俸制だからそうなのかなと勝手に思ってました。当然家族からは猛反発。そこで目が覚めました。


ここでは良くも悪くもベンチャー企業のスピード感、意思決定の速さを体感しました。IPOはもう少し携わってみたかったかな…でも結局できてないみたいだから、まあ…いっか。


現在も会社はありますが資本関係も経営者も変わっていて、普通のASP事業者になっているようです。



ー総合病院

前の会社の働き方で少し体調を崩したことや家族の要請もあって、近隣で落ち着いた仕事を探すことに。地元の医療法人で経理と労務を担当していました。


勤怠確認したり給与明細配りに行くたびにいろんな部局でいろんな話を聞いたりしました。とにかく少しの立ち話でも誰が最近元気がないとか、誰が不満を抱えているらしいとか、他にも些細なことも含めていろんな情報が入ってきたり、誰がその部局の要となっているかや誰を説得すれば話が通りやすいかなんてこともわかってきました。

ナースステーションに立ち寄った時には患者さんの声もたくさん伺いました。そうするとこちら側からは見えない病棟の雰囲気なんかもなんとなく感じることができました。


自分のデスクから見える世界だけではわからない、現場に足を運ぶことのメリットというか大切さみたいなことを感じました。次の会社にお声がけを頂いて退職することになりましたが、この頃からは明確に仕事感が変わってきていました。


自分がその職場に求められているか、何をすべきでどう役に立てるのか、結果として自分も得られるものがあるかを意識するようになりました。


ここで初めて本格的な労務を経験させてもらいました。いろんな職種の人々がいろんな雇用形態でいろんなシフトで働いている現場で研鑽を積ませてもらいました。経理も医療法人だからというか、ガバナンスなども含めていろんな意味で難しかったです。医師や看護師の人員配置基準とか医療監視への対応とか、医療法人に携わらなければ知る機会もなかったことも勉強になりました。



ー材木屋

経理だけじゃなく管理部門全体を見て欲しいということでお声がけをいただきました。


管理部門といっても受発注担当の若手社員1名とパートの事務員さんが3名だけ。経理や人事は専務さんが担当していたのでそれを引き受けつつ、見積もりや請求書の作成や納品書や支払いのチェック、給与計算、パートさんのマネジメント、営業さんへの回収関係のサポートやお客さんを怒らせちゃった社員の詫び状作成代行、ドライバーさんのサポートや人員不足時の近隣への配達まで、小さい会社なのでなんでもやります的な感じでした。


ここでは回収トラブルに巻き込まれて一時休職する事態となりました。現在の基準で判断すると一発で「強」判定の出来事。初めて自分がメンタル問題を抱え、心療内科に通うことになりました。仕事にはすぐ復帰しましたがこのあとしばらくは不安感がつきまといました。


このあと、社長が病に倒れ会社が事業を縮小することになりました。管理部門の仕事も激減してしまったため、ここでキャリアを継続することは難しい状況となり引き際と判断しました。


とにかく小さい会社で起こるあれこれをたくさん経験させてもらいました。組織とか役職ではなく、この全員の顔が見える小さいコミュニティーの中で自分がどう機能するかを考えて行動していました。先頭に立って進めるプロジェクトであったり、サポートに徹する作業であったり、マネジメントだけするタスクであったり、それぞれの目標達成に一番役立ちそうな立ち位置に身を置くように心がけていました。


現在も本社だった建物は昔のままありますが、違う会社が入っているようです。



ーそして、いろいろ

ここからしばらく根無し草のような転職が続きます。約4年半の間に7社を彷徨い、どこも1年未満で雇用形態も正社員だけでなく派遣社員も経験しました。


前職でのトラウマからなかなか抜け出せず、本当に精神的にも生活的にも厳しい時期でした。音響機器商社、給与ベンダー、社労士事務所(2箇所)、日用品卸売、産婦人科医院、学校法人…。まあ、やってることはほとんど同じなんですが、いろんなところへ行きました。


それでも、この時期の経験は今も役に立っていることが多くあります。派遣社員の経験は明確に自分の提供しているスキルに値段がついていることを確認することができました。


経理や人事労務といったコストセンターとしての評価ではなく、売り上げが立つ仕事なんだと思えたことが大きな衝撃でした。自分たちは売上やそれらを生むための原価や付加価値を生みだす存在ではなく、コストだと思い込んでいた節があったんだと思います。それ自体は今もそんなに間違っていないなと思っていて、それらに携わる人々があって我々がいる感覚は今も明確にあります。ただ、自分の仕事もそれらを支えることで見えない価値を生み出せる存在であると今は思えるようになりました。それと、専門職的な仕事で評価をしてもらえる方が向いているのかなとも思えました。


また、この間に社労士事務所や給与ベンダーを経験して仕事の軸足を経理から労務へ移すことになりました。


正直、最初はあまり評価されない仕事だと感じましたが、経理が会社という大きな財布一個の仕事をするのに対して、労務は多くの従業員の財布の仕事であるだけでなく、その先にはそれぞれの家族や人生があってそれらを支えることにつながると思えたのです。


また経理や人事はできる人やりたい人がたくさんいますが、労務はそれよりも少ないなあと思ったのもあります。


それでも、この頃は社労士になろうとは明確に思ってませんでした。とにかく目の前のことをこなすのに精一杯で、その先を見る余裕がなかったんだと思います。


これでもまだ終わりません。

後半に続きます。

日々是学日

転職を繰り返してきた元会社員が47歳で社労士に。事務所の開業に向けて日々思うことを綴ります。ときどき家族やミニチュアダックスとの日常も。

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